毎日新聞インタヴュー記事「学校と私」 |
毎日新聞(2007年12月3日全国版)に、いしかわこうじのインタヴュー記事が掲載されました。 学校と私:ほめられて絵の道を意識=絵本作家・イラストレーター、いしかわこうじさん イラストレーターの道を意識したのは高校2年生のころ。僕の通った千葉県立千葉高校は進学校でしたから、周囲からは浮いた存在だったかもしれません。 両親は教育熱心で小学校4年から塾に通いました。ただ学校では「勉強のできる子」でも、一歩外に出ると、もっとできる子がいる。中学で始めた軟式テニスも県大会では勝てない。「何なら自分を生かせるのか」と考え、高校に入学するころには、絵の道を意識していました。小学生のころから図画工作が大好きで、折り紙の本や世界美術全集を愛読しましたね。高校では美術部に所属。2年の時、油絵の静物画を文化祭に出品したら、友人の親が買ってくれた。それがすごくうれしかった。美術大に進む先輩に影響を受け、進路として考え始めました。 「ほめられる」ことはとても大事だと思います。高校のころは、勉強に励んでいる周囲のことを、自分と同じように「勉強は嫌いなはず」と思っていた。しかし、今、同窓会で聞くと、彼らは「勉強が好きだった」と言うんです。頑張ったら成績が上がり、先生や親からほめられ自信がつくから。僕は絵がほめられることがうれしくて、描くことにのめり込んだ。 イラストレーターを目指し、武蔵野美術大学デザイン科に進学しました。しかし、大学では「突出した才能は求めていない。デザインの分野で社会に貢献できる企業人を育てる」として、授業も理論中心。会社勤めをイメージできず、「リスクがあっても絵で生きていくために美大に来たのに」と幻滅しましたね。 しかし面白いもので、今の活動には大学で学んだことが生きています。最初は本を出しても、装丁は他人任せ。今は絵本の表紙デザイン、価格などを総合的にプロデュースしています。いろいろな世界にボーダーレスに入れるのは大学時代の財産のお陰です。 絵本はルールがありません。対象年齢も広く、絵や文章の量、造形、すべて自由で面白い。僕の創作活動の根本的な部分は、図画工作に夢中だった小学生時代と、何も変わっていません。<聞き手・中川聡子>
============== 1963年千葉県市川市生まれ。第9回講談社童画グランプリ(87年)で大賞。写真絵本「コタロウの旅」で04年、ボローニャ国際絵本原画展入選。「どうぶついろいろかくれんぼ」(ポプラ社)など著作多数。 毎日新聞 2007年12月3日 東京朝刊 |